2010年01月05日

ついに担任の話が聞ける

必要に迫られて代表という肩書きを頂いた谷口です。

支える会として、あまり多くのことは出来ないまま、裁判はすすみ、一番木幡さんがききたかった担任の説明をきくことが出来る日がやってきます。

お母さんも、大叔父である木幡さんも、友音ちゃんと出来る限り一緒に食卓を囲んでいたことを言っていました。

ご飯を食べてきたか?ときかれて、食べていないと答えたと聴かされて驚いたそうです。友音ちゃんは、カリカリに焼いたトーストが好きで朝食はパンだった。それが学校側には食べていないと受け取られた。

病院にも誰もつれていかず、一人で行っていたなどと言われたり、家族がめんどうをみていないかのように言われたが、病院には送り迎えをしていたし、小さい頃にはピアノも習っていた。大きな家に住んでいて、生活に困るようなことは無かった。友音ちゃんが小さい頃は、お母さんは育児に専念していたのだそうです。

その上、木幡さんの家に住んでいることすら知らなかったらしいのです。家庭訪問してきた教員はそれくらいは知っていたはずなのに、どこでどうなったのか、生活に困窮していると思っていたと言われたこともあるそうです。何も知らないくせに、噂と想像ででたらめを言いふらしたのであれば、それも許せないことです。

聞けばきくほど、悪意のある噂を流されたことに驚きました。

友音ちゃんの汚名を雪いでやりたい。本当にそうおもいます。本当にひどいことを、さんざん言われてきたのです。なぜ悲しみに沈む遺族にそんなことが言えるのか、人間の本質は悪なのかな〜とそんなことも思いました。

自分の身に火の粉がふりかかったら、自己中の強欲なおっさんに様変わりした教育関係の立派な肩書きを持った人たちには、心底うんざりしています。

私は元々、学校的価値観や教員のダブルスタンダード・トップダウンのやりかたに唯々諾々と従うくせに、子どもには偉そうにする人たちを信用していませんでしたが、それでも、まさかそこまで?!!というあくどさでした。

滝川に限ったことではなく、日本中のいじめ事件で同じやり方が出回っています。まるでマニュアルがあるかのようです。もしかして、裏マニュアルが配布されているんじゃないかと疑ってしまうこのごろです。

なぜ、いじめが起きた時に、当校にはいじめはありませんと、すぐに言うだ?調査した結果いじめはありませんという場合も、どんな調査したのかわからない。近隣では、子どもたちへのアンケートをシュレッダーにかけてしまったという話もあるようです。

どんな調査方法だと、これだけ子どもの声を拾えないのか、その方がよほど不思議であります。やる気がない。結論ありきのアリバイ工作をいかにやるか、いかにみせかけてごまかすかしか考えていないの??

なんでこんなことになったのかと、学校不信は加速する一方。

せめて、子どもたちが死なずにすむような対策を求めて行きたい。自殺を考えたら、学校を休もう。大人は子どもの命を受け止められたら最高だと思って、学校と命を秤にかけるのはやめよう。

私はつくづくそんなことを思ったのでした。


posted by 支える会 at 20:01| Comment(5) | TrackBack(0) | つれづれに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は滝川の姑息さ、ケツの孔の小ささを別な側面から見てきた人間です。

それから考えるに、滝川側はいじめた側を守りたかったのだろうなあと思うのです。

いじめられた側を悪者にする。
弱いものを悪者にする。
そうやって滝川と滝川に利益をもたらすものを守る。

そういう精神構造なのだろうと思います。

本来であればいじめた側を糾弾し、いじめの原因を取り除く。本来やるべきことをやる。
それが一番大切なことなのに、それを如何にやらないか?を考えるのが滝川市なのだと思います。

遺族の皆様にとっては、ただただつらい裁判と思うのですが、本来明らかにしなければならないことを明らかにすることが、天国にいる娘さんの無念を晴らすことになると思うのです。
Posted by 高橋徹哉 at 2010年01月09日 14:05
コメントありがとうございます。

イジメを認めた上での次の段階へ進めるはずの裁判で、よもやのイジメ否定が始まるとは、思いもしませんでした。

イジメに気が付かなかったことを認め、今後どうするべきか?イジメを感知するのが難しいのであれば、どうしたらいいのか?という具体的な提案をしていける裁判になれば・・・と思っていたのに、元の木阿弥というか、認識のなさを露呈しただけ。子どもの人権感覚ゼロの教育関係者がのさばっている現状が明確になってしまった。

滝川市の関係者の恐るべき無責任さが再確認された尋問でしたね〜。

学校関係者や教育なんたらという肩書きのついた人たちを疑ってかかるべきです。いざとなったら保身しか考えない。平気で嘘をつき、忘れた振りをし、なかったことにしてしまう。

松木さんと木幡さんという家族の中で、太陽のような存在だった友音ちゃんが自殺したのに、それを、知ったことではないという態度でした。聞いていて気分が悪くなりました。がっかりでした。
Posted by 谷口 at 2010年01月09日 15:30
問題は裁判官に滝川市の無責任さをちゃんと印象付けられたかどうかですよね。

「しらない、できない、わからない」で世の中通る分けないということを、きちんと判らせないとだめでないのという気がします。
Posted by 高橋徹哉 at 2010年01月12日 23:14
裁判官の心証を悪くしたことは間違いないと思うという風に思いたいです。

憶えていないとしらを切ればすむわけないと思うのです。当時の担任の発言や、校長の担任による報告という書類が証拠として提出されているのに、それをみせられても、憶えていない。言った覚えはない。と言ってたようです。最初の1時間を私も聞いていないので(抽選に外れて・・)はっきりはわからないのですが、弁護団も激怒してました。

世の中いったいどうなってるのか?と思わなくてもいい裁判になって欲しいです。
Posted by umi at 2010年01月15日 11:25
ちょっと話がそれますが

一時期滝川(直接市と関わっていたわけじゃないですが、ある活動を通じて)と関わっていたことがあり、そこの福祉部長の経験者に

「このお、公共事業でんな太りやがって」

といわれたことがあるんですよ。

ああ、こうやって人を小馬鹿にする、蔑んでみる体質が滝川なんだろうと実は思っているのですよ。

人を馬鹿にしているんですよ。あまりにも。

この辺をしっかりとたたかないと、どうもならないんじゃないかなあと思うのです。
Posted by 高橋徹哉 at 2010年01月16日 19:26
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。