2010年08月07日

2005年 9月12日〜25日まで

時系列 9月12日以後の分



後日(07.1.17)叔父は、処分を受け総務部参事(参事とは、部下を持たない部長職)となった辰巳元教育部長に、市教委を通して質問書を送った。

質問書には、「なぜ、当該児童の脳波の検査日時や、医師の説明が行われる時間を知っていたのか? 市立病院の事務長は市役所職員と聞いたが、これと関係があるのでしょうか?」という趣旨であった。

辰巳参事からの答えは、「脳波の検査があるだろうと思い、‶山勘″で毎日病院に行っていた」というものであった。


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その後、母親は道に対し、松木友音の個人情報開示請求を行い、市教委から空知教育局へ送られていた大量のFAXのコピーを入手した。(08.3.4)その中の、9月12日分には、「教育部長は病院から戻り報告した。『松木さんの容態を関係者に内々で聞いたところ、ただいま脳波の検査を行っており、夕方に結果が出る』とのこと。教育部長は時間を見計らい、再度病院に行く予定」と記載されていた。

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平成17年 9月15日(木)

叔父たちは前日、ICUで看護師さんから、「友音さんの鞄を預かっています」との校長からの伝言メモを渡されていた。叔父は自宅に戻った際、校長に電話で都合を尋ねて学校に行き、残されていた友音のカバンを受け取った。その後、校長の案内で、閉鎖された教室に行き、当時の状況説明を受け、取り残されたOHPの取り付け部分などを持参したデジカメで写した。

その後、叔父は校長から、「誰かからの手紙」を預かっていると言われ、叔父は迷ったが匿名の手紙は受け取らない方がよいと思い断わった。

その後、叔父は校長に、「同級生とその父母を集めて、その前で友音の遺書を読み上げたい。いじめた子どもたちは心から反省し、謝罪をしてほしい。それで私たちは何とか納めたいと思います」と述べると、校長は、「必ずやります」と言って、応じた。

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平成17年 9月23日(金)

母親と叔父は毎日、友音に付き添うため談話室で待機していた。ICU内の都合がつく度に看護師さんが迎えに来られ、短時間の面会を何度も繰り返していた。

この日、叔父は病院から自宅に戻った後、学校に行き、校長・教頭から、友音の上靴や習字、工作物などの、残されていた展示品を返してもらった。

叔父は校長に、「友音の遺書を、同級生とその父母の前で読み上げる日はいつになるのか」と尋ねたが、校長は、「10月にでも…再来週あたり」などと言葉を濁らせるばかりではっきりしない。

叔父は校長に、「いつまでも待てない。来週早々にでも行いたい。可否の返事は、明後日(日曜日)夜までに、拙宅の留守電に入れるように!」と申し入れをした。

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平成17年 9月25日(日)

夜、叔父が病院から自宅に戻ると、校長からの留守電が入っていた。その内容は昨日と同じで、「私と、木幡さんと、教育委員会とで、公表の仕方についてご相談したい、ということになっておりますのでお電話を下さい」とのメッセージである。叔父は、「遺書を、同級生と保護者の前で読み上げさせてほしい」と言っただけなのに、なぜ校長は私の趣旨を歪曲して、‶遺書の公表の仕方″などと言わなくてはならないのか?

遺書の表書きには、「私が死んだら読んでください」と書かれており、友音はいまも病院で頑張っているというのに、遺書を公表するなど、とても考えられない。ましてや、学校・市教委と、遺書の公表について相談するなどあり得ない!

叔父は、市教委の都合をそのまま伝えているであろう校長たちに対し、怒りと不信感を新たにした。



文責 木幡幸雄


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2010年03月16日

事件の経緯

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4年生頃の友音ちゃん。おばあちゃんのお見舞いに行く車内で。


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平成17年9月9日金曜日

7時頃、友音さんは「いってきます」といつものように叔父に声をかけ登校していった。叔父
はこの日が「いってらっしゃい」と声をかける最後の日となってしまった。

滝川市内を移動中の叔父に友音さんの母親から携帯に「友音が事故で、救急車で運ばれた」と知らせが入った。叔父が市立病院にかけつけると、友音さんは救急車から下ろされるところであった。心臓マッサージと人工呼吸をされながら応急処置室に運ばれていく。

叔父は看護師に「家族のかたですか」と聞かれ「廊下でお待ちください」と言われる。叔父は目の前に繰り広げられる現実に信じられない呆然とした思いで廊下に佇んでいると、何人かの人たちと目が合った。

校長たちであった。叔父は校長に「事故と聞きましたが交通事故ですか?」と尋ねると「いいえ自分で」と言いながら首に手を当てた。愕然とする叔父に校長は「友音さんをすぐ下ろして人工呼吸と心臓マッサージをしました。そうしたら、まばたきを一〜二度しました」と説明した。叔父はその説明で「後遺症は残るかもしれないが助かる…」と思った。

叔父は、近くにいた担任のI教諭に、強い口調で「何があったのですか」と尋ねたところ、担任は「イザコザがありました。クラスの席替えと修学旅行の部屋割りでイザコザがありました」と答えた。

母親もほどなく病院に駆けつけた。友音さんは集中治療室に移され、母親と叔父は医師から説明を受ける。「心機能は回復しましたが自発呼吸は戻りません。よくて植物状態…脳死に至る場合も…」と言われ二人は愕然とする。

叔父は校長の「まばたきをしました」という話を医師にするが「それはあり得ない。首の跡から見ると25分から30分は…」と言われ説明された。校長は、母親や叔父に何度も、申し訳ありませんと言う。

呆然としている叔父に校長はT教育部長を紹介した。叔父はT部長と話をする。校長から「人工呼吸をした時にまばたきをしました」と聞いたのに、と言うと「混乱していたからだろう」と言われる。

「敬子と友音は母一人子一人なのに、こんなことになってこれからどうすればよいのか」叔父は話をしながら落涙した。

突然、T部長は何も言わずに叔父の腕をつかみ、強引に詰め所の前まで引っ張っていった。驚く叔父に、T部長は「近くに、マスコミらしい人がいたから」と説明した。

…叔父は居ても立っても居られずICUの壁越しに「友音もう大丈夫だよ。がんばれ」と小さな声でつぶやきながら祈った。祈ること以外に出来ることは何もなかった。

夕方、母親は家に子どもの書いた物があるかも知れないと思い部屋の中を探しに自宅に戻った。しばらくして母親が7通の遺書を持って病院に戻った。

遺書にはいじめていた8人の名前が書かれていた。それぞれに恨み言が書いてある。遺書を読み、いじめられて自殺を図ったと知り、その苦しみ、悲しみ、怒りを知り、何も気付けなかった自分の不甲斐なさに叔父と母親は泣いた…

夜、校長たちが病院に再来した。叔父たちに「いま保護者への説明会を終えて来ました」と伝え、「申し訳ありません」と言いながら傍についている。叔父は彼らに「私たちは友音のことで目一杯なのです。あなたたちに対応する余裕はありませんのでお引取り下さい」と言って帰ってもらった。

後日叔父は母親から、校長は、自宅に一人で戻った母親の後を追って遺書を手渡し、その場で学校宛、六年生宛、母親宛の、三通の遺書を読み、手帳に書き込んだと聞かされた。

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9月11日 日曜日

早朝、叔父は着替えなどのため、一旦自宅に戻った。新聞に目を通すと紙面には友音さんの記
事が載っていたが、いじめとは書かれていなかった。

午前9時、叔父は病院前で、向かい合わせている市役所へ電話をかけ、辰巳教育部長に「病院前で待っていますから来てください」と伝えたが、いくら待っても来なかった。しびれを切らし、カンフアレン室に戻ると、教育部長は叔父の後を追うようにいきなり部屋に入ってきた。

叔父は「新聞にはいじめがあったとは書かれていない。いじめがあったと発表してください」と話したが、教育部長は「いじめがあったかどうか分からない。新聞は独自調査だと言って書くので当てにはならない」などと言いだした。叔父は「遺書があるのです。見てください」と話すが、教育部長は「遺書ではない、文書だ。見たくない」と嘯いた。

叔父は「それでも人の親なのですか」と強い口調で言うと、教育部長は「人の親だから言っているのだ」と怒鳴りだし、叔父も怒鳴り返して、その場は怒号の応酬となった。

夜、病院廊下のソファーで休んでいた叔父は教育部長に起こされ、教育長を紹介される。校長も来ていた。教育部長は「明日記者会見するから、これで了承してくれ」と言ってノートを読み上げた。叔父は、口頭ではわかりづらいのでノートを見せてもらう。そのノートには「遺書」とは書かれずに「手紙」が数通あり…と書かれていて、最後のほうに「校長の談話」らしきものが書かれていた。

ノートは崩し字で書かれていて読みづらかったので教育部長に「タイプ打ちしたものをもらえないか」と文書を求めたが、「それは出来ない」と断られ、そのやりとりが切掛けとなり、叔父と教育部長は、またしても怒号の応酬となった。

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9月12日 月曜日

母親と叔父は談話室で友音さんとの面会のため待機していた。そこへ看護師さんが来て「今日、脳波の検査があります。先生(主治医)からお話もありますので、午後3時に病棟詰め所に来てください」と言われた。

母親と叔父は時間にあわせて病棟への階段を上がると、教育部長が待っていた。教育部長は「脳波の検査の結果を知りたくて待っていた。医師の説明に同席させてほしい」と言いだす。叔父は「私たちはあなた方に応対する余裕なんて無いのです。お引取り下さい」と伝えると、教育部長は返事もせずに階段を降りて行った。

叔父は詰め所で看護師さんに来意を告げ、いま教育部長に「脳波の検査結果を知りたくて待っていた」と言われたのですが、と伝えると、看護師さんは驚き「何で知っているのかしら。脳波の検査を行うという事は、今朝の9時に決った事なのに‼ 」と話した。

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2009年04月02日

滝川いじめ自殺事件とは

《滝川いじめ自殺事件とは》

 2005年9月9日、滝川市立江部乙(えべおつ)小学校6年の松木友音さんが、いじめを苦に教室で首を吊った事件(友音さんは回復することなく06年1月6日に亡くなった)。いじめの苦痛を綴った遺書があったにもかかわらず、滝川市教委は05年11月の「調査」をもとに「いじめはなかった」と結論。

友音さんが通っていた江部乙小学校全景
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 06年10月、遺書が新聞に載るが、市教委は「自殺の原因は特定できない」と、いじめによる自殺を否定。市教委には抗議が殺到し、ようやくいじめを認め謝罪。滝川市教育長は辞職、教育部長(停職)、指導室長(停職)、校長(減給)、教頭(訓告)、担任(訓告)が処分される。

 07年5月、札幌法務局も人権侵害事件と認定。
 しかし、市教委の報告書には虚偽の記述が残り、遺族が事件前後の学校の対応を知ろうとしても、「もう終わったこと」として取り合おうとしない。遺族に対する報告義務違反は明らかであり、隠蔽体質は変わっていない。
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