2011年11月09日

裁判のその後をテーマに講演会します。

講演会のお知らせ

11月19日に、内田良子さんをお招きして、講演会をやります。
そして、滝川いじめ自殺裁判の原告であるご遺族のお2人もゲストとして参加してくださいます。

原告であったお母さん松木敬子さんと、仕事も一時はやめてまで事件の真相のために奔走して、実質的な勝利を勝ち取った大叔父である木幡幸雄氏が質疑応答に答えてくださる予定です。詳しくはチラシをごらんください。

実は、裁判のその後を総括したいと裁判終了後から、考えてはいたのですが、講師をお願いしていた内田良子さんのご家族に突然の不幸があり、延期せざるをえませんでした。

支える会は、解散しましたが、母体であった「もぐらの会」では、今も友音さんの事件のことは話題にしています。世間でおきるいじめが介在している事件についても、せめて自殺を防ぐことはできないのかと考えあっています。

11月19日。午後3時より、江別市市民会館37号会議室にて。参加費500円。小中学生は無料です。当日、直接会場へおいでください。どなたでも参加自由です。
よろしくお願いします。

下記が詳しい内容になりますのでご覧ください。

kouen2011.jpg

裁判を傍聴した方は、皆一様に大きくショックを受ける内容であったこと、忘れられません。
ご一緒した方が口々に、学校側、教育委員会側のウソだらけの答弁に怒り心頭となりました。

最初は、小さな記事でしたが、読売新聞での報道がされるや、当時はワイドショーでも大きくとりあげられ、テレビでは、教育委員会の人が意味不明の弁解を繰り広げる様子が映し出され、全国の視聴者から江部乙小学校や滝川市に抗議が殺到したのです。

いじめは無かった、遺書ではなく手紙だったという姿勢から、いきなり、抗議が殺到するや、いじめがあったと認めるという経緯があったものです。実際には、何の調査もせず、ただ報告書を捏造しただけだったのです。

そして、裁判では、当時の安西教育長は、のらりくらりと、同じことを繰り返し、担任だった伊藤教諭は、覚えていない、知らない、記憶に無い、以外の言葉を知らないのか?という体たらくぶりをみせつけてくれました。

裁判は、去年の3月に、勝利といえる和解で結審しました。いじめによる自殺予見の可能性があったと、認められました。教室内で起きているいじめに鈍感であってはならない。それが教員の仕事である。子どもの命を守ることが最優先されるということがしっかり書きこまれていました。

子どもの命を守るという観点に立った、とても中身のある和解内容でした。

さて、あれから一年半がたち、現状は何か変化があったでしょうか。ご遺族の側からも何があったか、なかったかをお話していただけると思います。

支える会に関わってくださった方、また、いじめ とは、事件なのです、もしも今現在「いじめ」という事件の被害にあっている方、悩んでいる方、何かしたいと思っている方がいましたら是非、おいでください。

内田良子さんは、初期の頃から、滝川いじめ自殺事件に心を寄せてくださいました。また、その後ご遺族との交流も持たれ、また多くの子どもが被害者になる事件や、不登校などでも、子どもの心によりそうという視点から親がどうしたら良いのかというお話をしてくれます。

いつも心にしみるお話と、豊富な情報量と知識から具体的なお話もあり、目からウロコが落ちるかもしれません。

参加費は500円ですが。小中学生は無料です。どうぞお時間のある方はおいで下さい。


posted by 支える会 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

平成19年1月17日提出 公開質問状

裁判にいたるまでに、多くのやりとりをしてきた木幡さんです。裁判も終わりましたので、今までの資料の中から、今日は、公開質問状です。ほかに非公開質問状なども送っていたそうです。

公開質問状

滝川市役所 総務部参事 辰巳信男殿
 

辰巳元教育部長、あなたは平成17年9月12日(事件の3日後)午後3時、市立病院の2階ICUの、階段の上で私たちを待っていましたが、なぜ私たちがICUの詰め所に、午後3時に現れると知っていたのでしょうか。
「何ですか?」という私の問いに、「脳波の検査結果が知りたくて待っていた…」と言われましたが、なぜ、その日に当該児童の検査があるということを知り、午後3時に私たちが主治医から検査結果や、その説明を受けるということを知っていたのでしょうか。

あなたは木幡から、「私たちは、あなた方の相手をしている余裕なんてないのです。お引取りください」と言われ無言で階段を下りて行かれましたが、あれはどういうことだったのでしょうか。
私たちが詰め所に行き、看護師さんに来意を告げた際、「いまそこで『辰巳教育部長に、脳波の検査結果が知りたくて待っていた』と言われました」と伝えたところ、看護師さんは、「何で知っているかしら?脳波の検査をするということは今朝の9時に決まったことなのに!」とおっしゃっていましたが、これはどういうことなのでしょうか。

さらに、当該児童が平成18年1月6日、病院で息をひきとり無言の帰宅をし、私たちが葬儀の段取りをしている自宅に、安西教育長と二人で来られましたが、どうして当該児童が亡くなったということをすぐに知ったのでしょうか。

その後、私たちが市役所の窓口で火葬許可を取る手続きをしているところにあなたは安西教育長と二人で現れ、「自宅のほうに行ってきましたがお留守で…」と言われましたが、どうして私たちが窓口にいるということを知ったのでしょうか。

「市立病院の事務長は滝川市役所の職員である」と、ある人に聞きましたが、このことと何か関係があるのでしようか。

辰巳元教育部長、あなたたちは、私たち家族のプライバシーをどこまで調べられたのでしょうか。また、その調査は正確で、なおかつ正当なものだったのでしょうか。
私たちの疑問を文書にてお答えください。

平成19年1月17日      

滝川市江部乙町西12丁目13番47号

            
木幡 幸雄
posted by 支える会 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

「滝川いじめ裁判を支える会」会員になっていただいていた皆さまへ

 
みなさま、蒸し暑い日が続いていますが、お元気にお過ごしでしょうか。
うちの子の裁判ではたいへんお世話になりました。あらためてお礼を申しあげます。
ありがとうございました。

過日、支える会の役員をされた方たちが来宅され、友音の霊前にお参りをしていただき、支える会の余剰金をお供えしていただきました。

みなさまからいただいた浄財は、いじめによる子どもたちの、悲惨な事件の再発防止の一助となるよう、これからの講演活動の資金の一部として使わせていただこうと思っております。そうすることが、みなさまへのご恩や、うちの子の、無念の思いに報いることとなるのかと考えております。

暑さ厳しき折、ご自愛のほどお祈り申しあげます。
                                

 
松木敬子

                                   
木幡幸雄
posted by 支える会 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 遺族の方から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

2005年 9月12日〜25日まで

時系列 9月12日以後の分



後日(07.1.17)叔父は、処分を受け総務部参事(参事とは、部下を持たない部長職)となった辰巳元教育部長に、市教委を通して質問書を送った。

質問書には、「なぜ、当該児童の脳波の検査日時や、医師の説明が行われる時間を知っていたのか? 市立病院の事務長は市役所職員と聞いたが、これと関係があるのでしょうか?」という趣旨であった。

辰巳参事からの答えは、「脳波の検査があるだろうと思い、‶山勘″で毎日病院に行っていた」というものであった。


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その後、母親は道に対し、松木友音の個人情報開示請求を行い、市教委から空知教育局へ送られていた大量のFAXのコピーを入手した。(08.3.4)その中の、9月12日分には、「教育部長は病院から戻り報告した。『松木さんの容態を関係者に内々で聞いたところ、ただいま脳波の検査を行っており、夕方に結果が出る』とのこと。教育部長は時間を見計らい、再度病院に行く予定」と記載されていた。

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平成17年 9月15日(木)

叔父たちは前日、ICUで看護師さんから、「友音さんの鞄を預かっています」との校長からの伝言メモを渡されていた。叔父は自宅に戻った際、校長に電話で都合を尋ねて学校に行き、残されていた友音のカバンを受け取った。その後、校長の案内で、閉鎖された教室に行き、当時の状況説明を受け、取り残されたOHPの取り付け部分などを持参したデジカメで写した。

その後、叔父は校長から、「誰かからの手紙」を預かっていると言われ、叔父は迷ったが匿名の手紙は受け取らない方がよいと思い断わった。

その後、叔父は校長に、「同級生とその父母を集めて、その前で友音の遺書を読み上げたい。いじめた子どもたちは心から反省し、謝罪をしてほしい。それで私たちは何とか納めたいと思います」と述べると、校長は、「必ずやります」と言って、応じた。

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平成17年 9月23日(金)

母親と叔父は毎日、友音に付き添うため談話室で待機していた。ICU内の都合がつく度に看護師さんが迎えに来られ、短時間の面会を何度も繰り返していた。

この日、叔父は病院から自宅に戻った後、学校に行き、校長・教頭から、友音の上靴や習字、工作物などの、残されていた展示品を返してもらった。

叔父は校長に、「友音の遺書を、同級生とその父母の前で読み上げる日はいつになるのか」と尋ねたが、校長は、「10月にでも…再来週あたり」などと言葉を濁らせるばかりではっきりしない。

叔父は校長に、「いつまでも待てない。来週早々にでも行いたい。可否の返事は、明後日(日曜日)夜までに、拙宅の留守電に入れるように!」と申し入れをした。

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平成17年 9月25日(日)

夜、叔父が病院から自宅に戻ると、校長からの留守電が入っていた。その内容は昨日と同じで、「私と、木幡さんと、教育委員会とで、公表の仕方についてご相談したい、ということになっておりますのでお電話を下さい」とのメッセージである。叔父は、「遺書を、同級生と保護者の前で読み上げさせてほしい」と言っただけなのに、なぜ校長は私の趣旨を歪曲して、‶遺書の公表の仕方″などと言わなくてはならないのか?

遺書の表書きには、「私が死んだら読んでください」と書かれており、友音はいまも病院で頑張っているというのに、遺書を公表するなど、とても考えられない。ましてや、学校・市教委と、遺書の公表について相談するなどあり得ない!

叔父は、市教委の都合をそのまま伝えているであろう校長たちに対し、怒りと不信感を新たにした。



文責 木幡幸雄
posted by 支える会 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件の経緯 時系列 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

支える会・残金を友音さんの祭壇へ

全国の皆さんから、いただいていた支える会への支援金につきましては、残金の46,689円を友音さんのご家族にお渡しすることになっていました。

直接、お供えさせて欲しいと思っていたのですが、なかなかお伺いできず、遅くなりました。

8月1日にやっと、友音さんに手を合わせてきました。

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支える会のメンバーのSさんが代表で木幡さんわたしました。お母さんの松木さんは、写っていませんけれど、友音さんが好きだったアニメの話しをしてくれました。「フルーツバスケット」が好きだったって。

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受け取ってくださる木幡さん

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友音さんが幼稚園の頃の写真だそうです。祭壇は、友音さんが好きだったものとか、かわいらしい猫の置物やぬいぐるみでいっぱいでした。

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友音さんが暮らしていた家です。ここから、友音さんは毎日学校に通っていたんだと思うと、切ない気持ちになりました。

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文責 谷口由美子
posted by 支える会 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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